牧野信一の『心象風景』続稿-幻の「文科」第五輯-
 柳沢 孝子 (昭和文学研究 第14集、昭和文学会編、昭和62年2月)
 
  今春、神奈川近代文学館で、牧野信一展が開催された。その中のある新資料に、眼を止められた方もいるに違いない。小説「心象風景」の続稿たる、五枚の校正刷りである。

 「心象風景」は、牧野中期を代表する佳作の一つであり、彼が主宰した雑誌「文科」(昭6・10・1~昭7・3・3、春陽堂)の全四輯にわたって連載された。言うまでもなく「文科」は、「作品」のグループを母体に、河上徹太郎・井伏鱒二・丸山薫・三好達治・嘉村礒多等々の顔ぶれをそろえた、昭和文学の一ページを開くユニークな雑誌である。新進坂口安吾の連載小説「竹薮の家」、田畑修一郎「鳥羽家の子供」、稲垣足穂「青い箱と紅い骸骨」、牧野も小林秀雄との共訳でポオ「ユレカ」を載せている。「文科」は日本近代文学館による復刻のおかげで、たやすく全貌が眺められるようにもなったが、その終刊のいきさつは、いまだ明らかにされていない。第四輯発行時に、終刊の意図があったのかどうかさえ、解ってはいない。わずかに第四輯「竹薮の家」末尾に(つづく)と記されたことのみが、第五輯発行予定の手がかりとなるだけだった。

 牧野信一「心象風景」に関して言えば、第四輯で作品が完結したのかどうかも不明である。実際牧野は、翌年「心象風景」の続編を、「文芸春秋」(昭8・3,6)に寄せている。ただ私はつねづね、「心象風景」と翌年の続編とは、異なった意図と執筆事情を持つ、本質的に別の作品ではないかと考えていた。両者の設定に、微妙な相違が見られるばかりでなく、作品自体のトーンが全く異なっているように思われたからである。「文科」に連載中の牧野は、「心象風景」を現存の四輯分より長い小説として意図し、その続きは、一年後の続編とは違った展開と色合いとを持つはずだったのではないかという意味の稿を起こしたこともあるが、それは当時としては、あくまで推論にすぎなかった。

 牧野信一の遺品は、彼の生地である小田原の市立図書館に整理保存されている。遺品散逸のケースが多い中で、公立図書館によるこういった措置は、何ともありがたく、好運と言うほかはない。今回発見された校正刷りも、小田原市立図書館所蔵の多くの遺品の中に紛れ、たまたま気づかれることなく眠っていたものだったという。牧野展開催準備中に発見の報を受け、鑑定の御依頼を受けた時は、文字通り狂喜し、正直なところ多大の不安と共に、むさぼり読んだものである。

 組み版の形、名称欄に「文科」の名が見えることか等から判断して、あるいは作品内容も、第四輯<5>を受けて<6>から始まる点を考えれば、これが「文科」第五輯のための初校ゲラであることは間違いない。雑誌形にして正味九ページ分。印刷所は秀工社。また「4月18日」という日付の書き込みから、この校正刷りが「文科」第四輯の発行後に牧野の手にわたったものであること、すなわち第四輯発行時には、牧野に終刊の意図のなかったことが裏付けられる。末尾にある(つゞく)の表記からは、第六輯の予定さえうかがわれる。そしてその内容は、一部に類似点はあるものの、一年後の続編とはもちろん異なった作品である。

 前置きが長くなりすぎた。小田原市立図書館の御好意から、ここに全文翻刻のお許しをいただけたことを、一研究者として心よりお礼申し上げる。なお原本には、明らかに牧野の筆跡による校正の書き入れが認められるため、以下にはその校正された形をあげる。また漢字はそのまま新字体に改めたが、仮名遣い・ルビ・誤植等は原本どおりとし、紛らわしい箇所のみ(ママ)のルビを付した。→『心象風景』続稿を読む


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