KUNIO MAKINO 生涯と作品

1940~1949年

年号 年譜 備考
1942年 このころ見たヴァン・ゴッホの絵に強い衝撃 を受け絵描きのなる決心をする。
美校受験の決意をかため川端画学校へ通い始める
1943年 4月 東京美術学校油画科入学 井原宇三郎,安井曾太郎両先生に師事 戦時下のもとでの勉学であった 井原宇三郎先生の言葉「1日12時間以上
描かなければ歴史に残るが画家にはなれ
ない」の教えを生涯守り通そうとした
1945年  2月の末から3月にかけての東京空襲の時 千葉から東京へ歩いて戻る途中,空襲で 死んだ多くの人達のおびただしい死体の山の中を通ってきた
5月に召集され,8月九州・都城で終戦。 小田原に帰る途中の汽車から被爆後数日目の広島の街を見た。
後に,その体験と戦争のむごさを訴えた大作100号≪インパール≫ を1979年に完成させている
復員後,疎開中の小田原では部屋にこもり自画像ばかりを描きつづける
武装する自画像
武装する自画像
1946年 4月 復活した美校に戻り,湘南電車で通学
牧野信一の弟英二氏より,信一が愛用していた油絵具一式を譲り受ける
 
1948年 3月 東京美術学校油画科卒業
卒業制作は≪自画像≫≪姉の肖像≫
美校では明治,大正,昭和にわたる油画科学生の卒業期の自画像のコレクションが収蔵されているが,1943~1949年まで戦のため中断されている。
おびただしい数の自画像を描いた牧野作品は1948年卒業のため,収蔵されていない
1949年 姉達の洋裁学校開校にともない茅ヶ崎に住む  

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