●文科 第壹輯 第貳輯  第参輯  第四輯   ●牧野信一と「文科」-柳沢孝子-
●幻の「5号」と牧野信一「心象風景」未刊原稿 ●春陽堂と「文科」編集者難波卓爾
稲垣足穂(いながきたるほ)   1900-1977
 《文科当時(1931)の年齢》 33歳
 《文科掲載作品》 青い箱と紅い骸骨(第2輯~第3輯) 夜の好きな王の話(第4輯)
1928年以前 『天体嗜好症』(1928・5 春陽堂)
1929 5月 記憶(新潮)
1930 3月 蘇迷盧(新青年)
  7月 出発(新青年)
1931 3月 びっくりしたお父さん(新青年)
1932 4月 リビアの月夜(新青年)
  8月 電気の敵(新青年)
稲垣足穂と牧野信一
 牧野信一より3歳年少の足穂は、すでに大正12年に名作「一千一秒物語」があり、大正13年に「父を売る子」(新潮社、新進作家叢書)で作家として本格的に出発したマキノと文学的な同期生といえる。
 この「酔っ払い両巨頭」は、幾度か催されたという「文科」の会で顔を合せた程度で深い親交はなかったようである。ただし、マキノは「エハガキの激賞文」(1929年4月、時事新報)で「新星」井伏鱒二とともに足穂へも熱いエールを送っている。
 「文科」4輯の中で、3輯以上に執筆しているのは、マキノ、坂口安吾、坪田譲治、そして足穂だけであることからも文科の中断は残念だ。足穂の「文科」に対するスタンスは履刻版「文科」(日本近代文学館)の解説を参照されたい。
 戦後、自伝的回想ものの中で、足穂がたびたびマキノに言及していることにはもっと注目してよい。また、終戦後まもなく書肆ユリイカの伊達得夫が「足穂の強いすすめ」でマキノの作品集を出版する経緯も興味深い。
稲垣足穂を知る
ブックガイド
 
河出文庫 「東京遁走曲」
      「天体嗜好症」
 日本エディタースクール出版部
  「詩人たち」(伊達得夫著)
→Webガイド
 稲垣足穂一千一秒倶楽部
 http://www2u.biglobe.ne.jp/ ~harvest/taruho/index.html