【小田原電話】特異な作風で名を馳てゐた創作家牧野信一（四一）氏は廿四日午後六時半頃、神奈川県小田原町新王二、四〇〇自宅裏手の納家に子供の細紐で縊死してゐるのを帰宅した母の栄（六一）さんが見つけ、小田原署へ届出た、牧野氏の家は旧小田原藩士で、大正八年早大英文科出身、同期の岡田三郎、下村千秋氏等と同人雑誌「十三人」を発行、のち「爪」を発表して一躍文壇に認められ、飄逸な酒飲み的小説が得意であつた 三月十八日には創作集「酒盗人」といふ単行本を出したばかりだつたが、夫人節子（三四）さんとは別居し去年十五日から小田原の自宅で「櫻のはなびら」と題する創作中であつた 母堂栄（ｻｶﾍ）さんは語る 『十日程前から何にも書けないので仕方がない、書けないから死ぬんだと口癖のやうに言つてゐました』 |
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牧野氏は酒を飲むと異常な性格を発揮する方で、昨年秋節子夫人と英雄（一五）君と共に上京、五反田の霞荘アパートに住つてゐたが、二か月も経たないうちにその異常振りから夫人は英雄君を連れて秘かに日本橋区富澤町一六赤井氏方夫人の実弟民平氏の處に身を寄せこの際信一氏の取巻きの一人である帝大生小川某君が夫人に同情的の口吻を洩らしたので信一氏は夫人と小川君との関係を疑つていた 夫人としては長男の養育に専心し信一氏の生活振りを此上見せたくないので、どこまでも同居を拒み歌舞伎座の鈴木支配人が仲に入つて一年間別居、その間に信一氏も生活を立て直すことと云ふ條件であつた、信一氏は去る二月二日霞荘を引きあげ 小田原に帰つて母堂とモダン日本勤務の実弟英二（二八）君、同君子息正雄（四）君及女中の五人暮らしで原因は帰らぬ愛妻を慕ふ心情と、創にが筆が進まぬまゝ頭も丸刈にした程だつた 結局非常な神経衰弱に陥り小説の夢を実現したものらしい、節子夫人は東京に在つてこの悲報を受け、愛息英雄君は横須賀の親戚で父の急死を知つた様な別れ別れの生活であつた 久保田万太郎氏は語る『酒がないと寂しい無口な人でした、神経衰弱の極み、世の中が嫌になったのでせう、生活は簡単な人ですから生活苦といふ事はありません、精神的の行き詰りが真相でせう』 |