東京朝日新聞（3月25日） 記事 　

小説家・牧野信一氏　自宅で厭世自殺

原稿生活に疲れを見せて　悶々の挙句に縊死

【小田原電話】 神奈川県小田原町新玉町二ノ四〇〇小説家牧野信一氏（四一）は二十四日午後六時半頃自宅寝室で細紐で縊死してゐた外出先から帰宅した母さかえさん（六四）が発見、小田原署に届出た、原因は生活的にも経済的にも恵まれず、又原稿のはけかたも余り芳しくなかつたといふやうなことから、旧鑞来悶々の日を送つてゐた等から厭世して前記の始末に及んだものらしい、夫人は子供の入学試験のため母子で東京市日本橋区富沢町一六赤井方に上京してゐる、尚同氏の実弟英雄氏（二六）は現在モダン日本社に通勤している。
　 同氏は明治二十九年十一月十二日小田原町に生れ大正八年三月早大英文科を卒業、中戸川吉二氏その他と同人雑誌「十三人」を創刊その後同業時事新報社に入社、約一ヶ年新聞記者生活を送つたことがあり、文壇的には処女作「爪」を発表して以来知られ、「蝉」「南風譜」「ゼーロン」等の小説を書き、最近には「西部劇通信」の短編集を世に贈ってゐる【写真は牧野信一氏】

東京朝日新聞（3月25日） 談話 　鈴木俊平

神経衰弱か

　義弟の談

　自殺を遂げた牧野氏の夫人節子さん（三四）は半月程前から長男暁星中学二年生の英雄君（一五）が試験のため夫人の弟達が間借りしてゐる日本橋富沢町一六赤井政吉氏方に同居中だつたが廿四日夜牧野氏の親友歌舞伎座の鈴木支配人から夫君の急死の知らせに驚き同夜直に小田原に向つた、節子夫人の弟鈴木俊平君は語る

　「英雄君の試験があるといふので姉は半月前からここへ来て居りましたが、別居とか、離縁とかいふ訳では決してありません義兄が亡くなったといふ報せはついさき程鈴木さんからあり姉は驚いて出てゆきました、どうも心当たりはありませんが仕事のことで相当悩んでゐたやうですから神経衰弱からではないでせうか」

東京朝日新聞（3月25日） 談話 　久米正雄

ハイカラな人

　久米正雄氏の談

　牧野君の親友中戸川吉二氏は急報に接し小田原にへ急行したが久米正雄氏は驚いて語る

　「牧野君が亡くなりましたって？それはどうも驚きましたね、僕はあの人と時々酒を飲む位で余り親しくはしてゐませんが非常に文学者かたぎの人で酒もよくやりました、どつちかといふとハイカラな人でしたが原因は思ひ当たりません」

東京朝日新聞（3月25日） 記事 　

絶筆？「勝盃」　

　氏は一ヶ月程前に「勝盃」(しょうはい)の題で十回分ばかり書いた短編小説を持つて本社を訪問、夕刊小説の掲載方について相談に来たことがあるその際話はいづれともまとまらず今十回ほど出来たところで更めて相談することになつてゐたが二十日ばかり前に又五、六回分の原稿を持って来て『兎に角一応読んで置いて下さい』と云つたままになつてゐた。おそらくそれが氏の絶筆ではなかつたらうかと思われる