東京日日新聞付録昭和11年3月26日 記事    

家庭の悩みから―作家の破産 遂に死の虜 自殺した牧野氏けふ埋葬

極度の神経衰弱から廿四日小田原町新玉二の四〇〇の自宅で縊死した創作家牧野信一氏(四一)の葬儀は急

電で同夜小田原に急行した夫人せつさん(三四)長男英雄君(十五)夫人の妹浅尾千枝子さんや牧野氏と親交あつた歌舞伎座支配人鈴木十郎氏、作家中戸川吉二氏、小田原駅前好文堂主瀬戸一也氏等が協議の結果、廿五日午後六時納棺、同夜は親族並びに故人と親交あつた文壇人等の手でしめやかな通夜を行ひ

廿六日午後一時から二時まで小田原在清光寺で告別式を行ひ、同寺に埋葬する

同氏は小田原中学第九回卒業生で在学時代は剣道部の選手として鳴らし、またラッパの名手でもあつた、大正十三年父久雄氏の死後は多額の貯蓄や小田原駅前にあつた屋敷を不浄の金だからと滅茶苦茶に使つてしまつたほどの一風変つた性格、趣味は酒以外何もなかつた、死の直前は死にたい死にたいといふ反面、東京へ行つてもう一度立てなほすんだ……とカラ元気を自らつけてゐた

死の原因については各方面から種々取沙汰されてゐるが、某婦人作家との恋愛関係につき夫婦間に大きなギヤツプを生じ、一つには昔小田原第一校で

教鞭を取つたことのある賢婦人型の同氏の実母栄さんとモダンな婦人せつさんとの新旧思想が合はぬ等から二月来別居するに至り夫人は暁星中へ通ふ長男英雄君と共に東京市日本橋区富沢町一六の夫人の弟赤井氏宅に同居させ自分は小田原の自宅に帰つたが、家庭の心配は神経衰弱を極度にたかぶらせ、原稿の筆も進まず、作家としてまつたく行詰まつたのと親友を介して妻の復帰を願つたのが容れられなかつたのを悲観したものらしい

東京日日新聞付録昭和11年3月26日 談話 瀬戸一彌  

“二つの悩みに” 親友瀬戸氏が語る原因

牧野氏の死につき親友瀬戸一彌氏は語る

牧野君は死の直前まで毎日三回ぐらゐづつ僕の処へ来て妻の誤解を早く解きたいといつてゐました、最近も鈴木十郎さんとこの問題で奥さんに話したがもう少しはつきりしてとの様な話しだつたので作家としての行き詰まりとこの問題を悲観したものではないでせうか遺書はなんにもありません、絶筆は或る新聞社との内約によるサクラの花びらでたしか廿回分位は書いた筈です

東京日日新聞付録昭和11年3月26日 談話 牧野せつ

“神経衰弱から発作的” せつ夫人談

 廿五日午前一時卅四分の小田原駅で実弟鈴木俊平君と一緒に馳せ付けた夫人せつさんはおろおろ声で語る

自殺の原因は何もありません、牧野が非常に酒を飲み生活上も幾分苦しくなつたので子供も中学校へ行つてゐることだしそれに神経衰弱が大分ひどくなつたので一時別居したまでです、最近作風の転向は大分悩んでゐたやうですが作家が自殺することは行詰まつた結果で神経衰弱による発作的なものと思ひます、恋愛問題等私生活上のことは絶対に何もありません