東京日日新聞(昭和11年3月26日) 寄稿 久保田万太郎  

牧野の自殺 (上)

 牧野の自殺。……わたくしは、それを、二十四日の晩の八時すぎ、K君からの電話で知つた。

 が、

「ほんとですか?」

 電話口でわたくしは聞き返した。遽かにわたくしには信じられなかつたのである。……といふものが、その前の日、わたくしはかれから本をもらつてゐる。……その本を……「酒盗人」といふ新刊を、勤めさきの玄関でうけとるとそのまゝ、小包のなかだけ出して風呂敷の中に入れ、毎月の、二十三日の会にわたくしは出席した。……その日はいそがしい日で、外にも、もう一つ、川口松太郎の出版記念会があつた。……それへまはつて、夜遅くわたくしは帰宅した。……その間、わたくしは、一日それを抱へてあるいてゐたのである。……はッきりいへば、そのあとでもそのまゝ。……げんに、いゝえ、K君からの電話のとき、その風呂敷は、なほほどかれることなしに、わたくしの部屋の、わたくしの机の上に載つてゐたのである。

「とにかく、いま、うかゞひます。」

 さういつて電話を切つたK君の来るまで、わたくしは、部屋からもつて来て、茶の間の火鉢のまへでその風呂敷をほどいたのである。そして「酒盗人」を出して、しづかにそのペーヂをあけてみて行きつゝ、K君の電話でいまいつたことを、しづかにもう一度、胸のなかで継合せてみたのである。……K君にもまだ、さうはいつても、はッきりしたみとめがついてゐないのではないだらうか?……さうしたうたがひがわたくしを掠めた。……わたくしの気もちは不思議におちついてゐた。

 K君は来た。疑ひを持つ余地のないことがわたくしにはッきり分つた。……わたくしは、K君の質問にこたへて、その自殺の原因の、生活苦にもなければ、家庭苦にもなく、病苦にもないことを力説した。

「では、芸術上の行詰り……といつたやうな?……」

「さうも思ひません。……あれだけの才分をもつた男にそんなものゝ来るはずがありません。」

「しかし、最近、小説が書けない書けないとしきりにいつてゐたといひますが?……」

「書けないからといつて、すぐに行詰りが来たとはいへないと思ひます。……行詰らなくなつたつて書けなくなる場合もあれば、行きつまつたつて幾らでも書ける場合があります。」

「と、あなたは、何を原因だとお考へになります?」

「生きてゐることがいやになつたんだと思ひます。……それだけだと思ひます。」

「しかし、その、生きてゐることがいやになつた。……その原因は何かといふことになると?……」

いろいろあるでせう、それは。……でも、自分にもそれは分らないこつたらうと思ひます。……まして、外から、窺ひ知ることの出来る秘密ではないと思ひます。……とすれば、生きてゐることがいやになつた。……生きてゐるのに堪へられなくなつた。……それだけでいゝと思ひます。」

 間もなく、K君は、嘗て牧野の借りてゐた五反田のアパートへ行くといつて帰つて行つた。