東京日日新聞(昭和11年3月27日) 寄稿 久保田万太郎  

牧野の自殺 (中)

 ……わたくしのいつたことは感情にのりすぎたらうか?

 が。……がしかし、わたくしにすると、生活苦だの、家庭苦だの、病苦だの、さうしたことで……さうした理由だけでかれをころしたくないのである。……といふよりもさうした理由の下にかれをころせばどこがいゝのか?……どこが面白いのか?……わたくしはさういひたかつたのである。……

 かさにかゝつていへば、それは、生活的に不自由も感じてゐたらう、家庭的にもいろいろ煩累があつたらう。もともと健康でなかつたかれのことである。何かと思ふにまかせない場合もあつたらう。……が、だからといつて、そのどれにもかれは敗けなかつた。……もしその一つにでも敗けてゐたら、かれに、「ゼーロン」は書けなかつたのである。「鬼涙村」は書けなかつたのである。「泉岳寺付近」は書けなかつたのである。「心象風景」は書けなかつたのである。「熱海線私語」は書けなかつたのである。……

 わたくしをしていはしめよ。生活苦にも、家庭苦にも、病苦にも敗けなかつたかれも「文学」には敗けたのである。……たゝかひつづけつゝかれは敗けたのである。……そこに、そのとき、何をかれはみ出したか?……生きることに堪へられなくなつた惨めなかれの骸をかれはみ出したのである。

 かれは自殺した。

 しかも、かれは、その方法として縊死をえらんだ。

 縊死。……

 わたくしをして重ねていはしめよ。どうしてかれはさうした最悪の方法をえらばなければいけなかつたのか?……どうしてかれは、さうまで剥出しに、むごく、荷辣に、かれ自身を、われわれのまへに投げださなければいけなかつたのか?……さうまで、かれ自身、かれを責めなければいけなかつたのか?……

「馬鹿野郎……」

 急にわたくしはわたくしに呶鳴つたのである。……ゆくりなく、そのとき、その前の晩の川口松太郎の出版記念会の光景がわたくしにおもひ出されたのである。……文字通りのお祭騒ぎの、いろいろの意味で出版記念会史上に特筆されるであらうその盛宴のなかに、いゝ間のふりに立ちまじつてゐたわたくしがわけもなく恥かしくなつたのである。……かれに、もし、あの光景をみせたらかれは何といつたらう?……あゝした人生に對してかれは何んと感じたらう?……二十三日の晩なら、まだ、彼はこの世にゐたのである。……

 牧野よ。……可哀想な牧野よ。……おさへても押へても泪がわいて来た。

 ……K君の帰つたあと、わたくしは、完全にその三十分まへのおちつきを失つたのである。