【小田原電話】永い間の精神経衰弱に罹って人生苦悶におちいり夫人せつ(三四)さんとも別れた牧野氏は去る二月十五日母堂栄(六四)さんを頼って長男英雄(一五)君とともに小田原の実家に静養中だった、氏の神経衰弱はかなりひどく不眠症で悩みつづけてゐたので家人も注意してゐたところ廿四日のひるすぎ母と英雄君が海岸へ 散歩に出かけた隙をみて英雄君の兵古帯を奥四畳半の間の梁にかけて縊死を遂げてゐるのを女中が発見したものである、最近は病状が募り『原稿が書けない、死ぬ』と口走って友人にも会はず極度の厭人主義的な生活の裡に苦しみつづけ、その死に直面したひたむきな悩みに、家人も、自殺をおそれを感じて警戒をしてゐたところであった、 遺書は見当らず書斎の机上には執筆中の東京朝日新聞の夕刊小説『櫻の花弁(さくらのはなびら)』が未完のまま置かれてあった |
氏は小田原藩士の父をもつ小田原の生れ、大正八年早大英文科卒業で同期の岡田三郎、下村千秋氏らと同人雑誌『十三人』を発行、処女作『爪』を発表して島崎氏藤村に認められて一躍文壇に出、瓢逸なユウモアを含む作風に最近は人生派としてのみがきをかけて短編『思涙村』を去る二月、『酒盗人』を十日ほどまへ出版、好評を博したばかりである、 夫人せつさんは甥貞(サダ)(四つ)君と一緒に日本橋区富沢町の実家に帰ってをりモダン日本社に勤める同氏令弟英二(二八)氏および急をきいた文壇人知友たちは同夜小田原へ急行した |
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